音楽から学ぶことはたくさんあると思っています。
その中でも私が昔から教師の気概として心に常に留めている歌詞があります。
ご存知でしょうか。中島みゆきさんの「愛だけを残せ」という曲です。
そのサビは下のような歌詞です。
愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
生命の証に愛だけを残せ
出典:中島みゆき『愛だけを残せ』
初めてこの曲を聞いた時から、私の教師人生のテーマソングのようなものとなりました。
教師は時に教育という分野の中や教え子たちの記憶に自分の名を残そうとしがちですが、
そうではなく、子どもたちに残してやるものは「愛」だけなのだと気づかせてくれます。
この曲は、かつて大村はまさんの「教えるということ」のこの文を読んだ時のような感覚をくれました。
「卒業生がいつでも先生、先生と慕ってくれるのが、なによりもうれしい。」とか、「そういうとき、先生ほど楽しい職業はないと思う。」とかいうことばを聞くことがあります。
大村はま『新編 教えるということ』
わたしが受け持った卒業生は、「先生のことを忘れない」と言ったこともないし、また、私も忘れてほしいと思っています。わたしは渡し守のようなものだから、向こう岸へ渡ったら、さっさと歩いて行ってほしいと思います。後ろを向いて「先生、先生」と泣く子は困るのです。
「どうか、自分の道を、先へ向かってどんどん歩いて行ってほしい。私はまたもとの岸へもどって、他のお客さんを乗せて出発しますから」。卒業した生徒が何か自分で言ってこない限りは、私はあとを追いません。
子どもたちに残してやれる「愛」は何か。
「愛」という言葉ほど定義付けの難しいものはなかなかないと思いますが、私なりに教師としての「愛」とは
「無条件に必要とされた経験」
ではないかと思っています。
条件付きではなく、無条件に「あなたが居てくれて良かった」と。そう感じさせることこそが教師から子どもへの愛なのかと考えます。
そんな愛を受けた経験こそが
いつか私たちの手を離れた先の世の中、そして目の前の困難を乗り越えていく勇気となる。
直接的な力ではないかもしれないけど、心のどこかにその愛があればきっと立ち向かって行ける力になる。
うまく言葉にまとめられませんが、愛とはそういうものなのかと思います。
教師人生を「生命」と例えるならば、生命をかけて目の前の子たちに「愛」を残していきたいものです。
取り留めのない話で失礼いたしました。
こんな記事でもみなさんの心に何かひっかかれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
余談ですが、「愛」の定義の中でもっとも腑に落ちたものは
ムンクの『接吻』という絵画の解説にあったとされる
「愛とは個人の喪失」という言葉です。これ以上の「愛」の定義を今のところ知りません。
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